この本からわかること
第1に子どもの主体を大事にするということをレッジヨの保育はもちろん重視しています。しかし,わが国の一部の保育にみられるように子どもの自由な活動のままに放置しているのではなく,子どもが主体となることを深く追求している点が注目されるべきでしょう。
この本からは次の重要な視点が読み取れます。
- レッジョ・エミリア・アプローチでは子どもが主体的であること
- 共同体という協力体制を重視しているということ
- 理論ありきではなく観察から理論を組み立てていく大切さ
- レッジョアプローチが模倣モデルではないということ
以下に、もう少し詳細に記しておきます。
子どもが主体的について分かる
さいきんアクティブラーニングの普及とともに一気に広まった言葉の一つが「主体的」ではないでしょうか。レッジョエミリア教育がずっとこの「主体性」に取り組んできたアプローチであるということが本書からは読み取れます。
また、主体的とはどういうことか、自由や放置とは何が違うのかといった微妙なニュアンスも、具体的な事例とともに明らかにしてくれています。
イラストは少ないですが、実際に子どもが主体的に作り上げた工作のビフォー・アフターなどが掲載されている箇所も興味深い資料と言えます。
レッジョエミリア市の共同体について分かる
如何にレッジョエミリア市での教育に対する取り組みが自治体ぐるみで行われているかを説明してくれています。
学校の組織構造はもちろん、家庭や自治体といった園外の機構とどのように密接に関わって教育を作り上げているかを細かく説明してくれています。
次の図は組織構造の説明として本書内で使われているものです。
観察から理論を組み立てる大切さが分かる
保育計画やカリキュラムの重要性は言うまでもないのですが、その具体的な立案方法として子どもたちが興味を持っていることを起点に活動する中で、テーマ性のある活動をエマージェントカリキュラムやプロジェクトとして成立させていくアプローチが書かれています。
エマージェントカリキュラムやプロジェクトはいきあたりばったりで進行するのではなく、綿密に予想されて計画と準備を経てから子どもたちのリアクションによってどんどん変化させていくような過程が、事例とともに紹介されています。
レッジョが模倣モデルではないということが分かる
これは最重要なポイントですが、レッジョ・エミリア・アプローチは模倣モデルではありません。たとえばモンテッソーリのような教具やカリキュラムがしっかり作り込まれたメソッドとは異なり、非常にあいまいなものであると言わざるを得ません。
しかし、その曖昧さが逆に柔軟性となっており、様々な事情を抱える国や地域や保育施設に適用する上での「都合の良さ」にもつながっています。
とくに長年続く保育園や幼稚園、インターナショナルスクールのプリスクールやキンダーガーテンにとって、今から新しいメソッドを導入するのではあまりにも抜本的な改革が必要になってしまい、どうしても及び腰になってしまうでしょう。
その点、レッジョエミリア保育であれば、具体的なメソッドやカリキュラムではなく、むしろ子供との向き合い方への提示や今やっている保育活動に記録観察を加えたり、従来の月案にプロジェクトやエマージェントカリキュラムと言った側面を付与していくことで、園ごとの独自レッジョエミリアアプローチを作り上げていくことをこそ推奨されています。
そういった曖昧で分かりにくい一方での適用しやすさが、この本から伝わってきます。
この本に期待できないこと
この本はイタリア語の論文や資料をジョアンナ・ヘンドリック氏が英語に訳したものを更に和訳したという経緯があるので、どうしても読みづらいと感じてしまいます。
和訳者のスキル云々ではなく、そういった経緯があるので、どうしても表現が曖昧になっている箇所が散見されます。
ベッドで横になりながら読んでいたのでは、おそらく頭に入ってこないのではないかと思います。腰を据えてガッツリ勉強モードで読むことをおすすめします。
内容は確かです。